消費者であるということ〜レポート②

レポート①から随分時間があいてしまいました。
【取り繕うということ】に続いて
印象に残ったワードをシェアします。

それは、
私たち【大人が「人」である前に「消費者」として存在している】ということ。

寄り添い、支えあい、学びあい、
お互いのエネルギーを持ち寄って創っていく、何かを生み出していく、という概念ではなく、

よりよいサービスを求め、
よりよい費用対効果を求め、
子どもの育ちも
家族の食卓も
外注していく。

教育も、
外遊びや、自然体験でさえ
外注していく。

家族の時間や、
仲間とのつながり、
地域のつながりでまかなわれてきたことが事業者への依頼になっていく。

それぞれの知恵や体験よりも
お金をもっていることに価値を置く社会になっていく。

 

「人」としての知恵、
生きていくためのスキル(食べるために、寝るために、暖をとるために、、)
つながりの中で分かち合うこと、

それよりも、

消費者としてサービスを選んでいる現代。
それは、人と人とのつながりよりも
お金を媒体としたつながり。

お金がなくては成り立たないつながり。
お金がなくては行き詰る。

 

そこに多様な価値観はなく、
物を持っていることが豊かであり、
持ってないことで肩身の狭い思いをする。

学級の中のいじめ、
子どもの貧困、
若者の引きこもり、
孤独な子育て、
病気や失業からの生活の破綻、
老老介護、、、、
困難な時でも、
取り繕うことに一生懸命になって生きているのは、
私たちが消費者として生きている姿ではないか。

 

人と人としてのつながりの中で
助けてもらったり、
手を貸したり、
知恵を出し合ったり、
共同体として生きていったら
変わっていくのではないか。

そんなことを思いました。

 

子ども達も、消費者として育てられている。
お天道様の力を借りる知恵を知らずに、
火をおこし、田畑を耕す術を知らずに、
助け合いながら、時に迷惑をかけ合いながら生きていく
それでいいんだって、知らないまま、

一人ひとりが 生み出すことのできる存在であることを
知らないまま、

サービスを得るためには財力がなくてはならないと
よりよい収入を得るために
よりよい品物を買うために
よりよいサービスを受けるために。

知識を流し込むかのように教育されていく。

 

そこに「生きる」実感は伴わない。

生きること。
暮らすこと。
作ること。
考えること。
知恵を出し合うこと。
支えあうこと。

私たち大人も 一人ひとりが
かけがえなのない「ひとりの人」として
存在していくこと。

一人と一人がつながっていくこと。

私たち大人が
消費者である前に、
「目に見えない大切なこと」を大事にできる
一人の「人」でありたい。

 

いつも忘れないように。
強く心に留めました。