いのちの守りかた

また、中学生が自ら命を絶ったと新聞にあった。

この時期になると、新聞でも、ネットでも、
「死ぬくらいなら学校に行かなくていい」と
流れ出す。
それだけでも、少しは救いになっているだろう。

でもね。
その子のそれまで たまりにたまってきた
不安、不信、悲しみ、怒り、は
「学校に行かない」だけでは解決しない。

学校辛いんだ。

クラスの人に嫌なことされるんだ。

あそこで息するのは大変なんだ。

疲れているんだ。

そういうつぶやきを、
きっとどこにも受け入れてもらえずに

「何言ってんの」
「今からそんなでどうするの」
「考えすぎでしょ」
「あなたも悪いところあるんじゃないの?」

そういう大人でなかったか。自戒を込めて振り返る。

子どもが生きていくことに絶望するとき
何にもできない大人にも絶望しているんじゃないだろうか。

毎日毎日、長い時間を過ごす場が辛い時。

今日は何が起こるだろうか、、、と
びくびくして、どきどきして、
いつ何時 何が起こるのか、何を聞かせれるのか、
そんな気持ちで教室に座っていることの

そのしんどさ。

いじめに直接遭ってなくたって
誰かが理不尽な扱いをされていることを
見たり聴いたりするだけで
こころを消耗させている子もいるんだよ。

幼稚園、保育園時代から、
小学校はもちろんのこと、
学校はそういう場所でも「当たり前」。

辛いなんて、弱いからだ。
弱い子こそ、慣らさないと、、、と。

そうして
家庭も
学校も
子どもが辛さをつぶやくことさえ許さずにきてはいないだろうか。

だからね。
「行かなくていい」だけじゃ足りない。

こころを大事にすること。
感覚を大事にしていいこと。

こころを守ること。
こころを分かち合うこと。

必要なことは、ちゃんとできる。ちゃんとできている。
学校は行かなくてもいい。
別の場所に移ってもいい。

ここじゃない。と思ったら、
いろいろ試してみればいい。

試す勇気は、それを許す大人に求められている。

いのちを守ろう!と思うなら
こどものこころを守ること。

こどもの感覚を、感情を潰さないこと。

信じる。
見守る。
それは本当に難しいことだけど、

大人同士もつながって、
大人同士もこころを分かち合って、大事にし合って
大人こそ勇気を持とう!!!

いのちを守る。

子どもと生きている人たちみんなに問われている。
親も、先生も、おばちゃんも、おじちゃんも、
おばあちゃんも、おじいちゃんも。

子どものつぶやきを拾おう。
それが「いのちの守り方」の第一歩だと思うんだ。

 

nao