長い休み明けは、いつも緊張します。誰かがどこかで、抱えきれないくらいしんどい想いをしてはいないかと。
その重さに、ひとりで耐えているのではないか…と。
「学校に居ると自分の価値が分からなくなっちゃうんだ…」
8才の子の呟きです。
我が子の瞳の輝きが失われていくのを見ていた親御さんも心を決めます
この子に合う所を探そう。
自分のままで居られる場所で過ごすようになった子は息を吹き返します。
みるみるうちに!
「ママ、ボク自分のことが誇らしいよ」
我が子の変化に母は涙が出たと言います。
こんな時、「不登校」なんて言葉はちっぽけ過ぎる。子どもは、いのちまるごとで生きています。
いのちのまんまで生きられない時の苦しさは、大人の想像を遥かに超える苦しさでしょう。
誰が悪いとか、何かが足りないとか、そんなことは大事じゃない。
息が詰まっている所から、深く呼吸ができる場所へ。
いのちの躍動そのままに過ごせる場所へ。
我慢する日々は、我慢する未来へ続きます。
心地よい日々は、心地よい未来へ。
心から笑える今日という日がもたらすものは、私たち大人が思うより、もっとずっと大きなものなのです。
小さいうちから学校で我慢したり、みんなに合わせることを覚えないで大丈夫だろうか。
昭和に育った大人たちは危惧します。我慢してナンボ。頑張ってナンボ。とお尻を叩かれて育った世代ですもの。
でも、ここだねは知っています。
自由と我が儘の違い。
自由と放任の違い。
自由に過ごせること、学べることの、その奥にあるもの、その先にあるもの。その宝を。
学校に合わないのは、その子のせいじゃない。学校以外を選ぶことは、我が儘じゃない。
せっかくココ(地球)に生まれてきたんだもの。
みんなと違うなんて当たり前!
みんな違って当たり前!
みんなが自分に合う所を選んでいい。探していい。
自分のことが好きになれる場所へ。
自分を誇らしく感じられる輪の中へ。
まだ見ぬ可能性に、自分がわくわくしちゃう。大人になるのが楽しみで仕方ない。
子ども達に、そんな子ども時代を。
ひとりにならずに、つながってください。
たくさんの人たちが、場所が、出逢ってくれたら嬉しいと、扉を開いて待っています。
もちろんここだねも。
nao