レポート①
12月12日に鎌倉で開催された
「子ども若者の貧困を考えるシンポジウム」に
行ってきました。
何回かに渡ってレポートをしたいと思います♪
我が家が「不登校」という状態を受け入れたときに
唯一相談に行ったのが、逗子の「遊悠楽舎」でした。
そのままでいい。大丈夫だよ。と、
ヒゲさんこと、明石さんに言ってもらってほっとしたものです。
今は、毎週木曜日の遊悠の日に合わせて、
ここだねも月に1~2回木曜日に蘆花記念公園で過ごし、
ゆる~~~くつながっています。
そのヒゲさんが、パネラーの一人でした。
「遊悠楽舎」「インクルージョンネットかながわ」の中で、
子どもの居場所事業、生活困窮者の相談事業、若者の就労支援事業など、多くのつながりの中で支援活動をされています。
必要な方に「遊悠楽舎」をつなげてくださいね。
シンポジウムでは主に鎌倉のデータを基に、
子どもの貧困について情報提供されました。
鎌倉は全国平均より少ないそうなのですが、
それでも、子どもたちの6人に1人が貧困状態にあるそうです。
学校でしかご飯が食べられない子ども。
進学、通学を経済的理由で諦めざるをえない子ども。
部活に必要な道具が買えずに諦める子ども。
勉強が苦手でもフォローがされず、学校に居場所がなくなっていく子ども。
一人親家庭の経済的困難。
社会的な背景。
貧困状態が招く、様々なチャンスの制約。
身につまされる想いでした。
その中で印象に残った言葉をシェアします。
「取り繕う」というキーワード。
貧困状態であっても、身奇麗にして、周りに分からないように取り繕う。
精神的に追い詰められていても、笑顔を浮かべて取り繕う。
子どもの不登校状態が近所に分からないように、取り繕う。
子どもの辛そうな様子を、見て見ぬ振りして、分からない振りして、とりあえずその日を取り繕う。
、、、、我が身を振り返っても ありがちなこと。
オトナもSOSを出せない。
できない。分からない。って言えない。
助けて!って言えない。
人間のやわらかな部分は、弱いもの、直さなくてはいけないもの、という社会の中で、オトナ自身が、いっぱいいっぱいで、
取り繕って生きているから。
子どものSOSを受け止められない。
子どもはよく見てるからね。
この人、言っても大丈夫かな~?って本質を見抜いてしまうから、
カウンセラーだろうと、ドクターだろうと、ティーチャーだろうと、
大丈夫な人にしかSOSを発しないものね。
自分のこころを取り繕ってはいないだろうか。
子どもの在りようを取り繕うとしてはいないだろうか。
一時の気休めに走ってはいないだろうか。
ここだねが、オトナにとっても、取り繕わなくてもいい居場所になれたらいいな。
そんなことを想いました。
これからシンポジウムの内容についてシェアしながら
ここだねが大事にしていること、大事にしたいこと、を
ちょこちょこ書いていこうと思います。
ふかざわなおこ