毎日毎日
やることなすこと
ウザイ
キモイ
って言われたら。
あなたはそんな所に 毎日毎日 何時間も居られますか?
笑われて
いじられて
脅されて
小突かれて
そんな所に また明日も行けますか?
自分がされてなくたって
そんな目に遭っている人を見て
誰も助けられない所。
大人に言ったって、何も解決されない場所。
そんな所でやる「勉強」って何だ?
大人はすぐに 警察みたいに取り調べる。
いつ。どこで。誰が何と言って、次に誰がどうしたって。
問題なのは、そんなことよりも、
何を感じているのか。
どう思っているのか。なんだ。
それは、合ってるとか、間違ってるとか、
関係ない。
感じていることは、その人の最大の真実だ。
いつまでたっても「いじめ」の定義さえ曖昧なまま。
この大人達の鈍感さよ。
真剣に想像しよう。
目の前に見えている 元気そうな動きに惑わされるな。
子どもの目の光を見よう。
目に見えない こころの声を全身で聴こう。
大人達が「これくらいのこと!」と
見て見ぬふりをして、
聞こえないふりをして、
知らんぷりしている その間に
泣くことさえも
怒ることさえも
できなくなって
孤独と絶望の淵に佇む子ども達がいる。
明日の朝が来ることが
辛くて仕方のない子ども達がいる。
自分ちの子がよけりゃいいんじゃない。
子ども達は みんなの宝。
生きてるだけで みんなの宝。
そう子ども達が感じられるようにしていくのは
親だけのつとめじゃない。
社会の大人たち、みんなのつとめ。
みんなの想像力。
そして、創造力。
あったかい輪の中で 和の中で
安心して育っていく子どもの姿。
安心して見守る母の姿。父の姿。
活き活きと生きる 全ての人たち。
創造しよう。
つながって、つながって、創造していこう。
もう一人も死の淵に追いやってはいけない。
絶望の淵に立たせてはいけない。
nao