ここだね的「主権者きょういく」

ここだねの様々な活動の底に流れていること。

 

それは

「ひとりひとりが世界をつくっている」

「ひとりから世界が動いていく」

という体験。

 

大げさなことではなくても

今日はあれしたい!これしたい!という個人の感覚からの発信を

まずは発信してみるところから始める。

理由なんて後からでいい。

やってみたい! こうしたい!

水面にポーンと石(意志)を投げてみるように放す(話す)。

 

それだけで、仲間が集まり、願いが叶う時もある。

 

違う意見が出てきた時はプレゼン大会。

例えば「ここに行きたい!」「あっちがいい!」の時。

相手を論破するのではなく、自分のアイディアならこんなに楽しいよ!とアピールする。

違う意見に耳を傾ける。

みんなでどっちの方が楽しいか、自分にもみんなにもよりハッピーであるか、を考える。

多数決にはしない。

意見が変わるのも、それでいい。負けじゃない。

変わらないのも、それでいい。ガンコじゃない。

最後の一人が、まぁいいか。と着地するまで話し合う。

 

これはめちゃくちゃ面倒くさい。話し合っている間に遊ぶ時間がなくなっちゃったりもする。

面倒だから逃げる人もいる。

決定は多いほうの意見でいいよ、という人もいる。

大きな声で言ったって、ささやくような声で言ったって、一つの意見は同じ重みで扱われる。

普段の言動が言葉の重みを変えることも感じ合う。

 

最終目的は「みんなが平和に過ごせるように」。それだけは確認する。

 

今回は譲るよ。でも次はこっちにしてくれる?と妥協案。

やっぱり両方が選び難くて、どっちもやろう!という時もある。

 

全てが体験。そしてその体験が智恵になる。

 

年齢も個性も多様な仲間が集うここだね。

平和を創るのは難しい。

ひとりひとりがいつも、大事な一票を持っていることを、どの場面でも確認する。

だから、ワタシくらい、ボクなんて、ってことはないこと。

自分がガマンすればいい、ってこともない。

言うのも練習。聴くのも練習。

 

自分という存在、あなたという存在が、そこに居るだけで世界の重要なピースである。

その感覚。

 

 

言葉でいくら「主権者教育」って言ったって

この試行錯誤、この面倒くささ、予定調和のない不透明さ

言葉にすること、言葉を聴くことの練習なしには主権者として育たない。

昭和世代の私たち大人たちこそ、これが欠けている。

 

だから「教育」より「共育」「響育」

子どもたちから教わることがたくさんある。

大人がつくってきたこの社会はみんなが幸せな社会になっているか??

なってない。

子どもたちは、今はまだ子どもだけど、あっという間に選挙権を持って大人になる。

次の世界をつくっていくのは今の子どもたち。

 

自分を大切に扱えて

自分を信頼して

相手の声に耳を傾けられて

世界に開いて

与えられて

受け取れる。

 

日常の ささやかな なんてことないひとつひとつから

感じてほしい。理解してほしい。

そして行動できるように。

 

ここだねの学びは、のんびり楽し気に見えるかもだけど

根底にはそんな想いが流れていて、子どもたちは日々学んでいます。

 

 

叶えたい世界は

ひとりから始められる。

始めたらきっと仲間が集まってくる。

輪が広がっていったら、じわじわと変わっていく。

そうして世界はつくられていく。

 

ここだねには平日昼間のスクールだけでなく、いろんなチャンネルがあります。

想いを同じくする人とつながっていけたら嬉しいです✨

 

 

nao